吾潟 吾潟の芸能/神社仏閣
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吾潟鬼太鼓 吾潟音頭 本間家薪能 牛尾神社薪能 牛尾神社例祭 佐渡能楽の里
伊豆神社 牛尾神社 湖鏡庵 歓要寺 延命院  


●吾潟の芸能

吾潟鬼太鼓

吾潟鬼太鼓は、国仲系鬼太鼓の発祥の地と言われており、発祥には諸説あるが「舞の基本として吾潟隣村の城腰:花笠踊で演じられる鬼舞の所作に、牛尾神社:薪能で演じられる能の所作を加えた」いう説が最も説得力があり、理にかなっている。
かつての吾潟は潟上村に属しており、従い潟上にある「牛尾神社」の氏子になっている歴史的背景がある。牛尾神社例祭の前夜祭では薪能の前に潟上鬼太鼓と共に鬼太鼓が奉納される。当日の例祭では、本殿前と「御旅所」にて鬼太鼓が奉納されるが、どちらで奉納するかは吾潟と潟上で毎年交代する。
吾潟鬼太鼓の成り立ち等については「吾潟鬼太鼓」で詳しく説明している。
(付録)
島内の鬼太鼓
佐渡島内には120を越える鬼太鼓があり、どれ一つとして同じものはないと言われている。さらには「湊鬼太鼓鼓」のように2匹の鬼が押し合いぶつかり合いして激しく舞ったり、「河原田諏訪町鬼太鼓」のように獅子と絡む鬼太鼓もたくさんある。
少子高齢化の影響が大きいのだろうが、女性や子供たちが参加する集落も珍しくない。湊鬼太鼓には女性外国人も参加している。
鬼太鼓に興味のある方は、毎年5月下旬(2025年は5月24日,25日)「佐渡國鬼太鼓どっとこむ」や8月8日「両津七夕まつり・川開き」には島内各地の10組を越える鬼太鼓が一堂に会するイベントは必見の価値あり。
 
島内の鬼太鼓の一覧及び系統
吾潟音頭 吾潟集落の日本舞踊家:華月湖清美(かげつや・きよみ)さんが中心となって創作した踊り。吾潟ならではの加茂湖の風情や吾潟を挟むように山々が並ぶ大佐渡・小佐渡を詠んでいる。2024年11月17日にはアミューズメント佐渡にて「華月湖清美会」メンバーにて初舞台が披露された。
作詞作曲:雲雀竹延(ひばり・ちくえん)
振付:華月湖清美(かげつ・きよみ)
演奏:金子芳延(ほうえん)会
創設:令和4年10月
右の動画は2025年吾潟敬老会で披露されたもの
吾潟音頭歌詞

《クリックでフル動画》
本間家薪能
佐渡宝生流の本拠地
佐渡の能の中心的地位を保ち、当代で18代目に至る佐渡宝生流家元の本間家は、能の普及と庶民化に多大な影響を与えてきました。1885年に再建された瓦葺き寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)には床下に音響効果用の甕が埋設されているなど、佐渡に現存する能舞台では最も本格的な造りで唯一の個人所有。毎年7月最終日曜日には定例能を開催しています。
「さど観光ナビ」より
牛尾神社薪能
牛尾神社例祭の前夜祭にて、吾潟と潟上の鬼太鼓が奉納されたのち、厳かに火入れ式が行われ、暮れなずむ夕暮れ時に薪に火が灯される。
仕舞が終わる頃には陽は完全に沈み、暗闇に薪の灯が揺れる中で薪能が奉納される。本格的能舞台と観覧無料故なのか、数ある島内の薪能の中でも最も多くの観客を集める人気演能の一つである。
牛尾神社例祭

毎年6月12日に前夜祭、13日に本祭が行われる。過去に、佐渡市より4月15日の島開きを祝うために各神社例祭をこの日に行うように要請があったが、本院ではこれまでのしきたりを重んじて例祭日は変更しなかった。曜日に関わらずこの日に例祭を行う。
前夜祭では、能舞台前に設置された薪に火が灯され、吾潟と潟上の両鬼太鼓が能舞台横で奉納され、その後に能舞台で仕舞いと能が奉納される。
本祭では、拝殿内で多くの参拝客を前に神事式が厳かに執り行われ、次いで「巫女舞」と「大黒舞」が奉納される。2023年には数年ぶりに「猿田彦の舞」も奉納され、年によって神事式の内容は異なるようである。これが終わると、10年に一度の「稚児行列」、3年に一度の「下がり羽」(「稚児行列」と重なる年は「下がり羽」は翌年に繰り越し)、拝殿前で吾潟または潟上の鬼太鼓(毎年交互)奉納、最後に「神輿渡御」が行われ、山道を下って「御旅所」(山道鳥居の手前にある)に神輿を安置した後、もう一方の鬼太鼓が奉納される。
両鬼太鼓は、神事の時間帯以外は、氏子各戸を回り門付けを行う。
本祭は、”ダイドーグループ日本の祭り”に選定され「守り継ぐ幽玄の島」としてNSTで放映された。
佐渡能楽の里 入館料 大人:800円(720円)、小学生:400円(360円) ※( )15名以上の団体
開館時間:8:30-17:30 (最終入館17:00)、無休
所在地:新潟県佐渡市吾潟1839、電話:0259-23-5000


●吾潟の神社仏閣

伊豆神社 伊豆神社は、「吾潟藤堂前」バス停前の道を山手に徒歩5分歩くと右手に山に向かう細い道があり50mほど進んだ左手にある。住所は新潟県佐渡市吾潟593-1。電話はない。
祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)。佐渡国寺境内案内帳には社人・由緒なしとある。しかし、弘化三、嘉永4年の宗門人別寄帳(源太郎家文書)には社人渡辺寿司とでている。元禄検地では伊豆権現社除とあるが開基年代は不詳である。(市誌)
祭礼は9月12日であるが近年は8月12日に繰り上げ実施され、牛尾神社宮司が兼務で執り行う。
開基当初は田ノ浦地区だけの神社だったがその後は吾潟集落全域が氏子となった。集落の人は「ごんげんさん」と呼ぶ。
かつては右の写真(吾潟公民館に展示)のような風情のある藁葺きの能舞台があったが、平成10年(1998)8月4日に裏の山から豪雨によって大量の土砂が崩れ落ちてきて能舞台は倒壊してしまい、現在は存在しない。土台等の跡地も土に埋まったままであろう。ここで実際に演能されたのかどうかも不確かであり、根拠のない推測的記事の紹介は控える。
昭和52年に日本大学芸術学部美術学科住空間研究室の学生数名がやってきて、能舞台を実測し16枚の図面を送ってきた(吾潟史)。その気になれば復元可能。原本が残っているならデジタル化して保存しておきたいところだ。
佐渡島内で一番謎だらけの神社である。
※「能楽古跡紀行第六巻佐渡の能舞台めぐり」での記述
寄棟茅葺きで複式橋掛かりの、いかにも佐渡らしい舞台は、雨戸も無くひどく荒れ果てて倒壊寸前、いずれは消える運命にあると思われる。敷地の関係か舞台のすぐ前が山の斜面で、こんな狭い所にも舞台を建てた昔のエネルギーに驚かされる。

吾潟公民館内に掲示

「能楽古跡紀行第六巻佐渡の能舞台めぐり」

倒壊した能舞台
(吾潟史)
牛尾神社 牛尾神社は、加茂湖南端にある「天王下」バス停から南側に少し歩くと、「新穂潟上温泉」に向かう道と川を挟んだ手前の道を進むと鳥居が見えてくる。
吾潟が集落として独立する前には潟上村に属しており、それ以前より創建された牛尾神社を集落の守り神として「天王さん」と呼んで親しんできた。バス停の名前もそこに由来する。
牛尾神社は、延暦11年(792年)、出雲大社より勧請創建された島内有数の古社で、当初は八王子大明神といい牛頭天王を併せ祀る。明治6年に潟上神社と改め翌年に現社号に改称した。明治32年に社殿や能舞台などを焼失し、同45年に全ての修復作業を終えた。白式、黒式翁2面、セクロウミヘビのミイラ、聖徳太子像、薬師座像、天神像などが神宝とされている。
県道南線沿い加茂湖の南端方に流れ込む「天王川(てんのうがわ)」脇にある牛尾山と呼ばれる鬱蒼とした杉木立の丘陵地に鎮座している。道路脇の社号標から暫くは平地の参道だが、それから杉や竹、自然林の鎮守の杜の中を上がる階段と緩やかな坂の参道が続く。境内入口の両部鳥居を潜(くぐ)ってしばらく進むと、広々と明るい境内に入る。県道からみて正門から北東に150メートルほど進んだところには裏門があり、相当にきつい石段を上がると本殿右脇にたどり着くことができる。本殿向って右側には杉の大樹として県下でも珍しい安産杉が、左側には能舞台、正面には至る所に彫刻が施された拝殿が目に入る。この拝殿の彫刻は、越後と佐渡の匠たちが明治35年から5年の歳月ををかけて仕上げた、刳り彫りによる立体的で豪華且つ精緻な芸術性に富んだ見事の一言に尽きる彫刻であり、龍、虎、獅子などの霊獣や動物、順徳上皇の遷御などが彫られている。ここの能舞台は、佐渡の独立した能舞台約30棟の中でも本格的能舞台といわれる三棟の内の一つ。江戸時代には佐和田地区の若一王子神社、真野地区の大膳神社、畑野地区の加茂神社と共に能楽の中心となった国仲四ヶ所御能場の一つである。
湖鏡庵 潟上の地頭本間源太左エ門源高秀の創建で、寺堂に後花園天皇の宸筆「管公 」の一軸があり、曹洞宗。佐渡八十八ヶ所霊場64番札所。高台にある境内からは加茂湖が眺望でき、加茂湖八景の一つになっている。湖鏡庵への石段を登っていく途中の竹林中に佐渡むじなの四天王の一匹の財喜坊さ ん(ムジナ=狢、佐渡ではタヌキを指す)を祀った祠がある。佐渡では昔から、全国に多い稲荷信仰ではなく、ムジナが厚く信仰を集めている。
※佐渡貉:二つ岩団三郎親分・湖鏡庵財喜坊・徳和東光寺禅達・関の寒戸・新町おもやの源助
※加茂湖八景:金北山の暮雪、籠米(樹崎神社の鎮守の森)の落雁、五月雨山(羽黒山)の夜雨、米山の秋月、鳥崎(鳥崎弁天)の青嵐、椎崎の帰帆、両津橋の夕照、湖鏡庵の晩鐘
歓要寺  
延命院  


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