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《 INFORMATION 》
1) リンク・フリーです
2) 画像や動画の再利用は固く禁じます。再利用をご希望の場合には、上記「お問い合わせ」よりご連絡を賜りたく
※ステレオ工房ポニーが撮影・投稿したYouTube動画は、ご希望の方には原動画を差し上げます
3) 記載内容に誤り等がありましたらご連絡を賜りたく。内容精査の上、修正させて頂きます
4) 吾潟地区ほぼ全域は、佐渡空港の関係からドローン撮影禁止区域に指定されています
5) 加茂湖は「加茂湖漁業協同組合」が漁業権を管理・行使しておりますので魚介類の採取にはご注意ください
6) ホームページを安くお手軽に作りたい方はお問い合わせください。手取り足取りでサポートします。
YouTubeに興味のある方もご連絡ください
①パソコン操作ができる
②パソコンとインターネットが自由に使える
③サーバー利用料:1000円以下/月が必要 ※さくらインターネットがお薦め
1)【佐渡おけさ】の「佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡」歌詞者は吾潟の人
2)【新穂銀山】吾潟の隣にある新穂で銀が採れたのは知る人ぞ知るところだが、ならばここで採れた銀などはどうやって島外に持ち出したのか?それは天王下の加茂湖南岸の入り江(本間家能舞台前に立ち並ぶJA関連施設の辺り)だったそうで、当時はにぎやかな祇園市がたったそうだ。
3)【佐渡鷺流狂言】佐渡の初期の狂言は大蔵流だったらしいが、鷺流を佐渡に伝えた最初の人は吾潟村藤巻の葉梨源内で、江戸で修業して帰国したのが文政年間のことで、それ以来天保4年(1833年)に32歳で亡くなるまで佐渡で活躍し弟子を養成したという。しかしその系譜は不明である。
4)【タツノオトシゴ】加茂湖の魚と言えばクロダイ、ハゼ、スズキなど。佐渡ジオパークの方の話で「樹崎神社の近くでガサガサしたらタツノオトシゴが見つかった」と言う。海藻が密集する場所でガサガサすると見つかるかも。
5)【加茂湖】時は明治39年、吾潟尋常小学校が独立した時の記録の中に「明治19年1月許可ヲ得テ吾潟区民ハ鴨湖(現加茂湖)ヲ埋立テ・・・」とある。この時には「加茂湖」ではなく「鴨湖」であった。おそらくは加茂湖に鴨が沢山飛来したことを表したのだろう。これが「加茂」に改名する由来は定かではない。
6)【白鳥】「加茂湖(特に南端部)でいつも白鳥を見る」吾潟地元民の間では有名なところ。この白鳥は「コブ白鳥」と言って通年で加茂湖に生息している。一般的に知られている渡り鳥の「オオハクチョウ」や「コハクチョウ」は嘴の先が黒く基部は黄色。これに対して「コブ白鳥」は嘴はオレンジ色で基部が黒くコブダイの様に突き出ている。1980年に初めて飛来し1983年頃から繁殖するようになり、現在は10羽以上が定着しているらしい。残念ながら外来種。
ちなみにカーフェリーでエビセンをせがむのはカモメではなくウミネコで、カモメよりも目つきが厳しい。
| ●吾潟にあるバス停留所 | |
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《青山斎場前》 吾潟の最北端原黒寄りにあり、青山斎場来訪者が利用。椎崎温泉にも近い 《越戸橋》 吾潟の北方にあり、越戸地域の方が利用。越戸橋が設置された時は現在位置よりも南200m辺りにあり、その下に天然の川が流れており橋が架かっていた。 《吾潟藤堂前》 吾潟のほぼ中央の吾潟公民館前にあり、田ノ浦地域の方が利用 《吾潟観音堂前》 吾潟の南方にあり、品浦地域の方が利用 《本間家能舞台前》 吾潟の最南端新穂寄りにあり、本間家能舞台来訪者や隣接するJA関連施設関係者が利用 |
| 協力 |
佐渡ジオパーク推進協議会 佐渡市観光文化スポーツ部世界遺産課 |
| 参考 | 吾潟郷土史(平成12年2月28日発行) ※ページ内では「吾潟史」と表記 |
| 両津市詩(昭和57年9月1日発行) ※ページ内では「市詩」と表記 | |
| 佐渡ジオパーク推進協議会発行「トキが舞う金銀の島 3億年の旅とひとの暮らし」 | |
| 70年の歩み 春日鬼組 ※鬼太鼓一覧 | |
| *ネット情報 | |
●本サイトの運営方針
本サイトは「ステレオ工房ポニー」が個人で制作・運営している。過去の出来事は、当時
の方々の記憶や写真などで残されているにせよ、年数が経てば公に知ることができなくなる。そこで2025年時点において様々な情報を収集し整理してネット上に残しておけば、今後数10年経っても何時でも誰でも参照可能になる・・・そんな思いで制作している。
ネット情報の危うさは周知の通りであり、書物とて同様である。本サイト制作に当たっては複数の情報を照らし合わせ、できるだけ前後関係で辻褄が合うように取捨選択している。しかしながら誤った情報が混じることも懸念されるため、本サイトの記載内容と異なる事実があるならば遠慮なく連絡を賜りたく。
また作成に当たっては、次の点に配慮しながら制作している。
①やるからには一番になりたい。どこよりも詳しく正確に、どこよりも多角的に網羅的にをモットーに、ネット情報だけでなく協力者からの情報収集を計り、出来るだけ史実に基づく内容に従って記載する。しかしながら記録のないケースも多々あるため、その前後関係では理論的推測を書き加えて理解をより深めてもらい、「歴史を知る」よりも「歴史を楽しむ」事に重きを置いている。
②GoogleマップはGoogleがサービス停止すれば閲覧できなくなるので、Googleマップを画像切り取りして所定の情報を追記した画像をサイトに掲載する。
③画像や動画をできるだけ沢山使い、楽しみながら興味を持って読んでもらえるサイトを目指す。
※今後追求したい事
①縄文時代の吾潟の様子
②吾潟鳥羽殿塚と殿様道の詳細
③伊豆神社の成り立ち
④青山で見つかっている縄文(?)土器の正体
※当サイトの画像枠の定義
YouTube動画:□ピンク、一般動画:□青色、画像拡大表示:□白色、枠無:操作無用
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