吾潟 Information
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《 INFORMATION 》
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4) 吾潟地区ほぼ全域は、佐渡空港の関係からドローン撮影禁止区域に指定されています
5) 加茂湖は「加茂湖漁業協同組合」が漁業権を管理・行使しておりますので魚介類の採取
 にはご注意ください

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《吾潟に関わる雑豆知識》

1)【佐渡おけさ】の「佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡」歌詞者は吾潟の人

2)【新穂銀山と吾潟】吾潟の隣にある新穂で銀が採れたのは知る人ぞ知るところだが、ならばここで採れた銀はどうやって島外に持ち出したのか?それは加茂湖最南岸の入り江(本間家能舞台前に立ち並ぶJA関連施設の辺り)だったそうで、銀山で働く人たちの資材や生活物資もここから運び入れた。当時はにぎやかな祇園市がたったそうだ。そもそも加茂湖や両津湾に面した湊まで潟上殿の領分だった。
※祇園:京都の流れをくむ行事で、地方では「天王祭り」と呼ぶ。この入り江近くにある牛尾神社を「天王さん」と呼ぶのも、ここから来ているのだろう。

3)【佐渡鷺流狂言】佐渡の初期の狂言は大蔵流だったらしいが、鷺流を佐渡に伝えた最初の人は吾潟村藤巻の葉梨源内で、江戸で修業して帰国したのが文政年間のこと。それ以来天保4年(1833年)に32歳で亡くなるまで佐渡で活躍し弟子を養成したという。しかしその系譜は不明である。

4)【タツノオトシゴ】加茂湖の魚と言えばクロダイ、ハゼ、スズキなど。佐渡ジオパークの方の話で吾潟の対岸にある「樹崎神社の近くでガサガサしたらタツノオトシゴが見つかった」と言う。吾潟でも海藻が密集する場所でガサガサすると見つかるかも。

5)【加茂湖】時は明治39年、吾潟尋常小学校が独立した時の記録の中に「明治19年1月許可ヲ得テ吾潟区民ハ鴨湖ヲ埋立テ・・・」とある。この時には「加茂湖」ではなく「鴨湖」であった。おそらくは加茂湖に鴨が沢山飛来した様子を表したのだろう。これが「加茂」に改名する由来は定かではないが、加茂湖の上端部にあり広大な面積のある「加茂歌代」あるいは旧両津市と同等域を占めた「加茂郡」と関係があるのだろうか?
一方では古い絵図「越湖勝覧」では「越湖(こしのみずうみ)」と呼ばれていた。学田を推進した組織も「越湖埋立同盟会」と言う。そしてここに今の越戸のところに「越戸崎」の記載がある。「越湖」の「越」と「越戸」の「越」の関係はどうなんだろう。

6)【白鳥】「加茂湖で年中いつでも白鳥を見る」吾潟地元民の間では有名なところ。この白鳥は「コブ白鳥」と言って通年で加茂湖に生息している。一般的に知られている渡り鳥の「オオハクチョウ」や「コハクチョウ」は嘴の先が黒く基部は黄色。これに対して「コブ白鳥」は嘴はオレンジ色で基部が黒くコブダイの様に突き出ている。1980年に初めて飛来して定住し1983年頃から繁殖するようになり、現在は10羽以上が定着している。残念ながら外来種。
ちなみにカーフェリーでエビセンをせがむのはカモメではなくウミネコで、カモメよりも目つきが厳しい。

7)【越戸橋】佐渡ジオパークの方が、「この停留所には橋が無いのに何故「越戸橋」とあるのか?」と。実はこの停留所は、かつては今の場所から百メートルほど南にあり、そこには今でも小さな川があって橋がある。その頃は小さい体で橋の下を潜り抜けて遊んだものである。斜めに越戸に向かうには不便だろうと県道からまっすぐに越戸に向かう道に直し、停留所も名前を変えずにそのまま移動したのだろう。

8)【越戸or小糸?】5)項でも触れた天保7年(1836年)に書かれた「越湖勝覧」にすでに「越戸崎」との地名が書かれている。当時の海面は数メートル高く、当時の越戸の地形がまさに「崎」の様だったのだろう。
両津甚句の「越戸橋を架けて湊がよひがやすやすと」が「小糸橋」に変わる事もあり、お年寄りの方では「越戸(こえと)」を「小糸(こいと)」と呼ぶ人も沢山いる。名前の由来を調べるのは本当に難しい。

9)【南線を通った・吾潟を訪れた著名人】県道南線は両津と真野を結ぶ重要幹線故に、多くの著名人がここを通った。
①享和3年(1803年):日本で初めて実測に基づいて日本地図を完成させた伊能忠敬(本隊)と高弟の平山郡蔵(支隊)が「佐渡測量」にて両津から真野に戻るときに越戸~田ノ浦~品浦を経由(南線)して真野に向かった《伊能忠敬沿海日記
②象などを含むサーカス一団が南線を歩いて通った
③天保7年(1836年):佐渡奉行所絵図師「石井文海」が「越湖勝覧」を書くために吾潟を
 訪れた。景観から推察すれば藤巻の高台辺りから加茂湖を望んでいる。
④昭和39年(1964年):昭和天皇が本間家能舞台で能「鶴亀」をご覧になられた

10)【新潟県の危険なバス停:吾潟藤堂前&吾潟観音堂前】2021年7月31日現在にて、新潟県内で危険なバス停として146個所が報告。最も危険なランク(A)(バスの車体が横断歩道にかかるか、停車したバスが原因で人身事故が発生)県内47か所の内「吾潟藤堂前」と「吾潟観音堂前」が報告された。この付近の車の運転には十分にご注意いただきたく。

外1)【前方後円墳】吾潟の対岸にある「両津郷土博物館」脇で2基の「前方後円墳」が発見されている。人が住むには水が必要。【椎崎遺跡】【湖鏡庵遺跡】【源太平遺跡】そしてこの【前方後円墳】豊富な水量がある加茂湖周辺高台に古来縄文時代から人が住んでいた事は間違いない。吾潟にだけ無い方がおかしい。高台にある越戸や藤巻にも遺跡発掘の可能性がある。
佐渡市で「前方後円墳」を発見

外2)【原黒畑に飛行場?】原黒畑とは吾潟と原黒の境にある広大な面積の田畑を示す。高台故に原黒や住吉の開発はここから始まったと言われており、お茶、製塩、養蚕などが盛んであった。第二次世界大戦末期(昭和20年7月)に、この原黒畑に飛行場建設が決定され、陸軍機が離発着し軍隊も駐屯した。戦争があと数年長引いていれば、佐渡空港は間違いなくここに建設されていただろう。80年前の事なので、この事を知っている方もまだ生存するかもしれない。

外3)【両津川開き】佐渡観光交流機構が運営する「さど観光ナビ」では「両津川開きは明治31年に夷港(両津港)が全国七港に指定された記念行行事」とある。ならば夷港を祝うのに何故に「川開き」と言う?「佐渡広場」の記事では「加茂湖開削工事が完成したのが1903年8月8日で、これを記念した祝賀行事が『両津川開き』である」とある。ちなみに8月7日は旧暦の七夕。これを2日通しの祭りとして「両津七夕・川開き」としたと考える方が理にかなっている。「吾潟史」にも「川開きは開削記念」と書かれている。ネット記事とはいかにいい加減なものか。ちなみに加茂湖と両津湾を結ぶ川を「境(さかい)川」と呼ぶ。加茂湖と両津湾の境ではなく、夷と湊の境を意味する。

 

●吾潟にあるバス停留所  

青山斎場前
吾潟の最北端原黒寄りにあり、青山斎場来訪者が利用。椎崎温泉にも近い
越戸橋

吾潟の北方にあり、越戸地域の方が利用。越戸橋が設置された時は現在位置よりも南200m辺りにあり、その下に天然の川が流れており橋が架かっていた。
吾潟藤堂前
吾潟のほぼ中央の吾潟公民館前にあり、田ノ浦地域の方が利用
吾潟観音堂前
吾潟の南方にあり、品浦地域の方が利用
本間家能舞台前
吾潟の最南端新穂寄りにあり、本間家能舞台来訪者や隣接するJA関連施設関係者が利用

協力 佐渡ジオパーク推進協議会
佐渡市観光文化スポーツ部世界遺産課
佐渡文化財団
  佐渡博物館
牛尾神社宮司
熊谷藤右衛門
参考 吾潟郷土史(平成12年2月28日発行) ※ページ内では「吾潟史」と表記
  両津市詩(昭和57年9月1日発行) ※ページ内では「市詩」と表記
  潟上郷土志(昭和46年発行) ※ページ内では「潟上志」と表記
  佐渡ジオパーク推進協議会発行「トキが舞う金銀の島 3億年の旅とひとの暮らし
  70年の歩み「春日鬼組」(平成13年10月1日発行)※島内の鬼太鼓一覧
  佐渡の文化財:遺跡等の一覧
  livedoor Blog 日記「佐渡広場」・・・吾潟について検索するとこのページにたどり着くことが多い。実際にその地に足を運び、佐渡全域について歴史・自然・文化・芸能等、実に広く深く観察・考察している。現在も更新が続いている。
  佐渡水難実記 - Next Digital Library
  佐渡学センターだより第6号(1)(2012年7月17日発行)
 

●本サイトの作成にあたり
本サイトは「ステレオ工房ポニー」の個人として制作・運営しており、吾潟集落の公式サイトではありません。加えて、情報提供者として佐渡市関連組織等との関連はございますが、その他のいかなる企業・団体との(特に営利目的とした)関係は一切ございません。これらの勧誘行為は一切を禁じます。

いざ本サイトの執筆を始め、吾潟集落について調べるほどに吾潟の奥深さを知ることとなる。①加茂湖畔にある、②潟上城と城腰・久知城の両方(特に新穂銀山領主を抱えた潟上集落)の影響を受けている、③本間家の存在、④人口・面積ともに比較的大きな集落である、⑤吾潟特有の学田開発を行った、等々が重なって独特の歴史を育んできた。佐渡が日本の縮図であるならば、吾潟は佐渡の縮図と言っても過言ではないでしょう。本サイトで紹介している歴史・自然・伝統芸能・史跡等々の豊富なテーマを他の集落でも吾潟同様に広く深く語れるだろうか?

過去の出来事は、当時の方々の記憶や写真などに残されているにせよ、年数が経てば公に知ることができなくなる。そこで2025年時点において様々な情報を収集し整理してネット上に残しておけば、今後数10年経っても何時でも誰でも見つける事が可能になる・・・そんな思いで制作している。本サイトに刺激を受け、他の集落や管理団体での情報発信が進めば本望である。佐渡ヶ島が「自然の島」「伝統芸能の島」と言うならば、一時の紹介ではなくそれを維持管理し、常に最新情報に基づいて更新し発展させねばならない。特に島外の方にとってはネットからしか情報を得る手段はないのだから。そのためにも情報の整理と共有、そしてネット発信は極めて重要な作業である。
本サイトが完成した暁には、ナレーションを付けて「吾潟の紹介プロモーションビデオ」を制作しYouTubeに投稿したい。

一方でネット情報の危うさは周知の通りであり、ウィキペディアやAI検索とて間違いが多くあり(所詮は一般人が書いている)、当時の情報で書かれた既刊書物とて同様である。さらには、ネットの課題である古い誤った情報の頻出である。10年前に古い情報に基づいて制作されたページが今なお流され続けている。本サイト制作に当たっては複数の情報を照らし合わせ、できるだけ前後関係で理論的にも辻褄が合う情報のみを取捨選択し整理して紹介している。しかしながら誤った情報が混じることも懸念されるため、本サイトの記載内容と異なる事実や知見があるならば遠慮なく連絡を賜りたく。

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